僕とTaKaKoと子供服
こんにちは!
ロンドン帰りのソーイング男子・店長のキッシーです。
残暑厳しい毎日ですね。
オフィシャルブログを始めて今日で3回目。
ソーイング男子・キッシーってどういう人?という疑問に
少し自己紹介させて頂きます!
ロンドン帰りのソーイング男子・店長のキッシーです。
残暑厳しい毎日ですね。
オフィシャルブログを始めて今日で3回目。
ソーイング男子・キッシーってどういう人?という疑問に
少し自己紹介させて頂きます!
子供の頃から手先を使って細かい作業が好きだった僕は母の影響もあり
神戸の服飾専門学校へ。
卒業後、先生の勧めもあってイギリス・ロンドンでより深くファッションを学ぶため留学。
幸運な事にファッションデザイナーのアシスタントとしてアトリエでお手伝いする事になりました。
午前中は語学学校、午後からはアトリエという生活が始まり、
ロンドンファッションウィークやパリの展示会と夢に思い描いていたような心躍る毎日でした♪
神戸の服飾専門学校へ。
卒業後、先生の勧めもあってイギリス・ロンドンでより深くファッションを学ぶため留学。
幸運な事にファッションデザイナーのアシスタントとしてアトリエでお手伝いする事になりました。
午前中は語学学校、午後からはアトリエという生活が始まり、
ロンドンファッションウィークやパリの展示会と夢に思い描いていたような心躍る毎日でした♪

ファッションウィーク期間中・某大使館にてショーの様子
そして、留学して2年経った頃、アシスタント同士、仲良くなった友人と
映画「ノッティングヒルの恋人」の舞台にもなったノッティングヒルにあるポートベローマーケットで場所を借りて
自分たちで作った洋服や小物等の雑貨を売る事をスタート。
とっても良い経験になりました。
映画「ノッティングヒルの恋人」の舞台にもなったノッティングヒルにあるポートベローマーケットで場所を借りて
自分たちで作った洋服や小物等の雑貨を売る事をスタート。
とっても良い経験になりました。

3年間の留学後、僕は本帰国し上京。
紆余曲折あり、知人の紹介でオーナーのタカコさんに出逢いました!
その当時、原宿にあったTaKaKoはまるでヨーロッパの街角にあるような
赤い屋根と白いドアの可愛いお店でした。
中に入ると可愛いお洋服があふれるほどあり宝箱の中に入ったような雰囲気。
それまで、大人のお洋服しか関わってこなかった僕にとって子供服は未知の世界。
直ぐにヨーロッパの子供服の持つ可愛さや色使い、素材の良さに魅了されました。
またタカコさんやタカコさんのお母様の人柄にも惹かれ
気付けばもうすぐ20年に。
紆余曲折あり、知人の紹介でオーナーのタカコさんに出逢いました!
その当時、原宿にあったTaKaKoはまるでヨーロッパの街角にあるような
赤い屋根と白いドアの可愛いお店でした。
中に入ると可愛いお洋服があふれるほどあり宝箱の中に入ったような雰囲気。
それまで、大人のお洋服しか関わってこなかった僕にとって子供服は未知の世界。
直ぐにヨーロッパの子供服の持つ可愛さや色使い、素材の良さに魅了されました。
またタカコさんやタカコさんのお母様の人柄にも惹かれ
気付けばもうすぐ20年に。

明後日18日は敬老の日。
9人のお孫さんがいるタカコさんは僕にとっては東京のお母さん的存在。
そんなタカコさんが今年で46年目になるTaKaKoへの想いを伝えたいとの事です。
下記、タカコさんからのメッセージです。
9人のお孫さんがいるタカコさんは僕にとっては東京のお母さん的存在。
そんなタカコさんが今年で46年目になるTaKaKoへの想いを伝えたいとの事です。
下記、タカコさんからのメッセージです。
ヨーロッパ文化のいっぱい詰まった歴史の博物館のような街並みの中で育まれ駆け回る子供達に憧れて
日本にもヨーロッパの子供服を届けたいとブティックTaKaKoを原宿に1977年の秋にオープン致しました。
遠い国々との連絡の手段としてやっとFAXが使えるようになり個人輸入の始まりの時代でした。
洗練されたヨーロッパブランドは質、色、デザイン等に学ぶ事が限りなくあり
多くの子供達に体感して喜んで頂きたい思いで直接、現地展示会(パリ、フィレンツェ、ロンドン、ケルン)にて
商品を選び続けて参りました。
やがて輸入子供服の取扱店も増加して
ヨーロッパ各国で開かれる展示会にも日本からバイヤー、メーカー、デザイナー等デパートをはじめ
多くの人々が一堂に集結し、それは華やかな時期が続きました。
生活習慣、体型、環境の違いを考慮しながら生産者と話し合いながら仕入れを進める事、
それは楽しい作業でありました。
私の結婚、育児、仕事と追いかけられた日々もまもなく開業46年となります。
直面する困難な問題は絶え間なく襲ってきました。
今日では世界の状況も著しく変化してまいりました。
しかし、すでに親子3代に渡ってTaKaKoにお越し頂いているお客様や
貴重なご意見をお教え下さった多くの方々に支えられ今日まで続ける事が出来、感謝一杯でございます。
広く世界を知ることで失ってはならない文化の本質、理念など大切な継承すべき価値ある物を
子供たちの生活の中で自然と身に着けるチャンスを子供服を介して少しでも役立つならと願い続けています。
幸い、私の娘と心からお店を愛している青年・キシ君がお店を継続してくれることになりました。
皆様の信頼にお答えできるように努力を続け
多くの子供達にお洋服をお届けできる事を願っています。
これからもTaKaKoを宜しくお願い致します。
-・-・-・-・-・-・-・-・-ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- TAKAKO ARA
日本にもヨーロッパの子供服を届けたいとブティックTaKaKoを原宿に1977年の秋にオープン致しました。
遠い国々との連絡の手段としてやっとFAXが使えるようになり個人輸入の始まりの時代でした。
洗練されたヨーロッパブランドは質、色、デザイン等に学ぶ事が限りなくあり
多くの子供達に体感して喜んで頂きたい思いで直接、現地展示会(パリ、フィレンツェ、ロンドン、ケルン)にて
商品を選び続けて参りました。
やがて輸入子供服の取扱店も増加して
ヨーロッパ各国で開かれる展示会にも日本からバイヤー、メーカー、デザイナー等デパートをはじめ
多くの人々が一堂に集結し、それは華やかな時期が続きました。
生活習慣、体型、環境の違いを考慮しながら生産者と話し合いながら仕入れを進める事、
それは楽しい作業でありました。
私の結婚、育児、仕事と追いかけられた日々もまもなく開業46年となります。
直面する困難な問題は絶え間なく襲ってきました。
今日では世界の状況も著しく変化してまいりました。
しかし、すでに親子3代に渡ってTaKaKoにお越し頂いているお客様や
貴重なご意見をお教え下さった多くの方々に支えられ今日まで続ける事が出来、感謝一杯でございます。
広く世界を知ることで失ってはならない文化の本質、理念など大切な継承すべき価値ある物を
子供たちの生活の中で自然と身に着けるチャンスを子供服を介して少しでも役立つならと願い続けています。
幸い、私の娘と心からお店を愛している青年・キシ君がお店を継続してくれることになりました。
皆様の信頼にお答えできるように努力を続け
多くの子供達にお洋服をお届けできる事を願っています。
これからもTaKaKoを宜しくお願い致します。
-・-・-・-・-・-・-・-・-ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- TAKAKO ARA
僕もタカコさんの想いを受け継ぎ
ヨーロッパ各国の素敵なお洋服をお届けできるように頑張ります。
ヨーロッパ各国の素敵なお洋服をお届けできるように頑張ります。
